パリの薬局は、なぜあんなに魅力的なのか― ファーマシーという、フランス女性の秘密の聖域

日本人がパリを訪れて、思いがけず長居してしまう場所のひとつが、たぶん 薬局 だと思います。

エッフェル塔でも、ルーブルでも、シャンゼリゼでもない。緑色の十字のネオンが光っている、街角のごく普通の pharmacie(ファルマシー)です。

入ってみると、棚という棚にずらりとクリームと美容液とハンドクリームとリップクリームと日焼け止めとシャンプーが並んでいて、白衣を着た薬剤師さんが真剣な顔でアドバイスをしてくれる。気づくと、買うつもりじゃなかったものまでカゴに入っている。そして帰国してから、あのとき買い忘れたあれをもう一度欲しい――と検索することになる。

これは私の作り話ではなく、日本の友人たちから何度も聞いた話です。「パリの薬局で買ったあのクリーム、もう一回欲しいんだけど、名前を忘れてしまって」 ――と。

なぜ、フランスの薬局はこんなにも、日本人を魅了するのでしょうか。

まず、ここは「薬局」ではあるのです

念のため確認しておくと、フランスの pharmacie は、本来は薬を売る場所です。処方箋を持って薬を受け取り、薬剤師さん――フランス語で pharmacien / pharmacienne――に相談する。これがいちばんの機能。

けれども、フランスの薬局には、日本のドラッグストアとは決定的に違う特徴があります。それは、スキンケアと美容の領域を、薬局が独占している ということです。

日本では、化粧水もクリームも日焼け止めも、ドラッグストア、デパート、コスメ専門店、コンビニまで、あらゆる場所で買えます。けれどもフランスでは、 薬局でしか売っていないブランド がたくさんある。ラ・ロッシュ・ポゼアヴェンヌビオデルマニュクスコーダリーエンブリオリスロゲ・カヴァイエス――これらの名前を聞いたことがある方も多いと思いますが、フランスではこれらすべてが、原則として pharmacie だけで売られている のです。

これは偶然ではありません。フランスでは、スキンケアは医療の一部 だと考えられているからです。

“dermo-cosmétique” という、フランスが発明した境界線

ここで、ひとつのフランス語を紹介させてください。

dermo-cosmétique(デルモ・コスメティック)。

これは「皮膚科学的化粧品」と訳されることが多い言葉ですが、その実態は、もう少し独特です。化粧品でもあり、医薬品でもある、その あいだの領域。フランスではこのカテゴリーが、ひとつの大きな産業として確立しています。

仕組みはこうです。これらのブランドの多くは、皮膚科の医師たちと共同で開発 されています。研究室で配合が検証され、敏感肌や湿疹やニキビへの効果が臨床的にテストされ、その結果として、「治療と美容のあいだ」 にある製品が作られていく。

だからこそ、これらは薬局で売られているのです。ただ「肌をきれいにする」のではなく、「肌の問題を解決する」 ものとして位置づけられている。コスメではなく、ほぼ医療品。だからスーパーやコンビニでは売れない。薬剤師さんに相談しながら選ぶべきものなのです。

そして実際、パリの薬局に行くと、薬剤師さんがあなたの肌を見て、質問をしてくれます。「肌は乾燥していますか? それともオイリーですか?」「赤みが出やすい?」「アレルギーは?」。そのうえで、「あなたにはこれが合うと思いますよ」と一本のクリームを差し出してくれる。

これは、デパートのコスメカウンターのセールスとは、まったく違う種類のアドバイスです。「売るための言葉」ではなく、「治すための言葉」 が、そこにある。

なぜ価格が、信じられないほど安いのか

もうひとつ、日本人を驚かせるのが 価格 です。

たとえばラ・ロッシュ・ポゼの代表的な日焼け止めは、フランスの薬局では 15ユーロ前後(2,500円くらい)。同じ商品が、日本の輸入販売店では 4,000円から 5,000円することがある。アヴェンヌのスプレー(ミスト)――あの有名な温泉水のスプレー――は、フランスでは 10ユーロほどで買えます。日本に持ち帰ると、3倍の値段で売られていたりする。

なぜこんなことが起きるのか。理由は複数ありますが、いちばん本質的なのは、フランスではスキンケアが医療の一部として位置づけられているから、価格が抑えられている ということです。

医療と化粧の境目にあるこれらの製品は、フランス政府や医療制度によって、ある程度の 「庶民が使えるべきもの」 という扱いを受けてきました。誰もが、敏感肌のクリームや、子供の保湿剤を、無理なく買える価格で手に入れられる。

これがフランス的な発想です。美しさは贅沢品ではなく、健康の一部 だから、誰もがアクセスできる価格でなければならない――。デパートのカウンターで売られる「フランスのブランド」と、薬局で売られる「フランスのブランド」は、まったく違う哲学から生まれているのです。

“soigner sa peau” ― 肌を「世話する」という発想

少し言葉の話をさせてください。

フランス語で「スキンケアをする」というとき、いちばんよく使われる動詞は soigner(ソワニェ)。これは「治療する」「世話をする」「丁寧に扱う」を全部含む動詞です。

soigner un malade(病人を看護する)、soigner ses cheveux(髪を手入れする)、soigner sa peau(肌を世話する)、soigner son apparence(身なりに気を配る)。

ここで重要なのは、soigner が「飾る」「美しくする」を意味しないことです。これは 「ちゃんと向き合う、放置しない、敬意を持って扱う」 という意味の動詞。

『パリジェンヌはなぜ「あんなふう」に着こなせるのか』の記事で、soigné(手入れされた、行き届いた)という言葉に触れましたが、同じ語根から来ています。フランス文化において、soigner sa peau(肌を世話する)ということは、爪を切り、髪を洗うのと同じくらい、自分自身に対する基本的な敬意の表明 なのです。

派手に飾るためではない。健康のため、自分に対する誠実さのため、毎日少しずつ、肌の手入れをする。これがフランス的なスキンケアの根っこにある考え方であり、なぜそれが薬局という「健康の場所」と結びついているかの理由でもあります。

パリの薬局で、覚えておくと役に立つ言葉

もしあなたが今度パリに行くなら、薬局で薬剤師さんに話しかけてみてください。フランスの薬剤師さんは、本当に親切で、丁寧で、長く話を聞いてくれます。日本のように混雑していないので、ひとりに15分くらいかけてくれることも珍しくありません。

入ってまず、こんな風に切り出せます。

Bonjour, je cherche une crème pour le visage.
(こんにちは、顔用のクリームを探しています。)

そうすると、薬剤師さんは必ず聞き返してきます。

Vous avez la peau plutôt sèche, ou plutôt grasse ?
(肌は乾燥肌気味ですか、それともオイリー気味ですか?)

ここで使える言葉をいくつか:

peau sèche ピンと張った乾燥肌
peau grasse 脂っぽい肌
peau mixte 混合肌(Tゾーンだけ脂っぽい)
peau sensible 敏感肌
peau mature 年齢を重ねた肌

そして、もし英語で話したいなら、これも自然な切り出し方です:

Excusez-moi, est-ce que vous parlez anglais ?
(すみません、英語は話せますか?)

たいていの薬剤師さんは、答えてくれます。

ちなみに、日本人にいちばん人気の定番は、私の知る限りでは:
ラ・ロッシュ・ポゼのアンテリオス(日焼け止め)、アヴェンヌのターマルウォーター(ミスト)、エンブリオリスのレ・コンセントレ(保湿クリーム)、ニュクスのウィルプロディジューズ(マルチオイル)。これらを見つけたら、ぜひ手に取ってみてください。

街の風景の一部としての、緑の十字

最後に、ひとつだけ。

フランスのどの街にも、緑色の十字 のネオンが、夜になると静かに光っています。これは、薬局のしるし です。1913年から法律で定められている、フランス全土で統一されたシンボル。

パリを夜に散歩していて、迷ったとき、この緑の十字を見つけると、ほっとします。そこには薬剤師さんがいて、何か困ったことがあれば相談に乗ってくれる。深夜営業をしている薬局を pharmacie de garde(ファルマシー・ド・ギャルド、当番薬局)と言って、24時間誰かが対応できる体制が、街のなかに常に保たれている。

これは、フランスがひそかに誇りに思っている 公共サービス のひとつでもあります。健康と美容のあいだに、誰もが気軽に駆け込める場所がある。そこには専門家がいて、商売よりも誠実なアドバイスをしてくれる。街が、住む人を見守ってくれている ような、そういう静かな安心感が、緑の十字には宿っています。

次にパリを訪れるとき、もしくは次にフランスの薬局のクリームを手に取るとき――そのチューブの背後に、こうしたフランスの医療と美容と公共の哲学が、ずっと積み重なっていることを、少しだけ思い出してみてください。

そうすると、あの薬局の魅力の正体が、もう少しはっきりと、見えてくるはずです。

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